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非審判的態度~「評価しないこと」の難しさ~

「非審判的態度」という言葉を聞くと、かなり強い言葉に聞こえると思います。
「非審判的態度」をマイルドに言い直すと、「相手の良し悪しを評価するのではなく、一旦受け止めてあげる」になるでしょう。

個人的な体験から

個人的な話になりますが、私は小学生のころから母子家庭で、母一人子一人の家庭で育ちました。
私が何かしでかすと、父がいないぶん、母が私を厳しく𠮟りました。
私が悪いのですから叱られて当然なのですが、私の気持ちとしては、母は「怖い存在」として一定期間あったと思います。

同時に、母はよく否定をする人でもありました。

小学生の頃、将来の夢を聞かれた私は「大工さん」と答えました。
その時も母は、割と現実的な理由をつけて否定をしました。
子どもながらに、ひどくがっかりした覚えがあります。

中学生の頃、部活動を決める際に、絵を描くのが好きだった私は美術部に入りたかったのですが、それを母に伝えると即座に否定され、「運動部にしなさい」と言われました。多少抵抗はしたように思いますが、結局私は、しぶしぶ運動部に入部しました。
結局3年間同じ部活を続けましたが、自分がやりたいこととは違うことを「させられている」という気持ちが強いままでいましたから、途中、数か月黙ってサボったりもしました。
当然顧問から母へ連絡が行き、学校に呼び出された私は母と顧問にこっぴどく叱られました。

その時の気持ちは、やったことへの反省よりも「だったら最初からやりたいことをやらせてくれればよかったのに」でした。

結果的に、部活を「続けるか」「続けないか」の二択を迫られた私は、「続ける」を選びました。
怒った大人二人がかりで詰められて、「続けない」と主張できるほど、私は強い子どもではありませんでしたし、そんな空気でもなかったことを覚えています。

我慢という選択

思い返すと、私は何か嫌なことや困ったことがあったときに、多くの場合で「我慢をする」という選択をしていた子どもだったように思います。
そして、それは大人になった今でも尾を引いています。

社会人になり、福祉の世界に足を踏み入れ、たくさんの子どもたちや保護者と関わっていく中であらためて思うのは、「子どもの頃の体験は死ぬまで生き続ける」ということです。
私自身、「自己主張のできなかった自分が悪い」と思ったこともありますが、すべてを子ども個人の責任にしてしまうのは絶対に違うと、今になって思うのです。

評価しないことの難しさ

ここまでかなり脱線した思い出話をしてきましたが、恨み言を言いたくてしたわけではありません。
「非審判的態度」について私は「相手の評価をするのではなく、一旦受け止めてあげる」だと最初に言いました。ここで難しいのが、受け止めることよりも、そもそも「評価(否定も肯定も)しない」ということです。

当たり前ですが、その行動が社会通念上明らかに「良くないこと」であるならば、軌道修正をしてあげなければなりません。なんでもかんでも「肯定」することが良いわけではありません。
そして同時に、「相手の善悪を評価し、悪なら否定して制御する」ということでは決してないということを忘れてはいけないのです。

大人の役割

個人的な考えになりますが、大人は子どもの「いざという時の添え木」のような存在であるべきだと思います。
今まさに倒れようとしている時に、そっと支えてくれる、そんな存在でいるだけで十分だと私は思います。
加えて、大人は子どもにとって「危険地帯へ入らないための道しるべ」のような存在でもあるべきだと思います。
道を踏み外しそうになった時に行く先をほんの少し修正して踏み外さないようにしてくれる、そんな存在であるべきです。

少し傾いたぐらいでわざわざ厳重に支える必要はありません。
行く道を1から作ってあげる必要もないですし、行く先をすべて決めてあげる必要もありません。

子どもはバカではない

とある漫画のセリフに、「子供はバカじゃないです。自分が子供の頃バカでしたか?」という言葉がありました。

これを読んだ時、私は、心から納得できたのです。

子どもはバカではありません。

少しバランスを崩したぐらいなら、こけないように自分で回避できます。
なんなら、こけて多少擦りむいたぐらいなら構わず遊び続けられます。
誰に何を言われなくても、自分の行きたい道ぐらいは自分で選べます。
多少道を間違えたくらいなら、自分で元の道に戻ることができます。

「言われないとわからないこと」もありますが、「言われなくてもわかること」だってあるのです。

確かに大人に比べれば、子どもは強くないかもしれません。
ですが、乳幼児でもない限り、なんでもやってあげなければならないほど弱く儚い生き物ではないのです。

まとめ

随分抽象的な話に着地してしまいましたが、私がお伝えしたいのは一つです。
子どもの些細な行動にも一喜一憂してしまうのは仕方のないことです。
ですが、すこしだけ、否定も肯定もせずに、優しく「がんばったね」と声をかけてあげるというのも、時には必要ではないでしょうか。

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