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2024.08.22

《引きこもりのO君が立ち上がった》

O君が母親と相談に来室したのは、中学校卒業後5年が経っていた。母親と2人で、毎日周囲に気を遣いながら、そっと生活していたそうだ。朝母親が出勤した後は、窓のカーテンは全て閉め、電話にも一切出ず、母親に買ってきてもらった雑誌、漫画などを読み、ひたすら母親の帰宅を待っていたという。母親は、高校進学もせずアルバイトなど働く意欲を見せない彼を責めることもなく、彼の意に任せていたと言う。そんな彼だが、母親とのコミュニケイーションは結構あったようだ。5年くらい経ったある夕食時に「俺も高校へ行ってみようかな。」と、つぶやいたそうだ。母親が、「一緒に高校探ししようか?」に、「高校の勉強がしたくなった。」と言い出した。早速幾つかの高校のパンフレットを取り寄せ、彼に合いそうな学校を2人で検討して、或るサポート校に決めた。まずは、見学に行くことになって電車に乗ったが、彼は空いている席があってもドアの側に立ち、じっと外の景色を眺めていたという。人に見られることにかなりの恐怖感を持っていたようだ。彼は陽に当たることもなかったので、色白でブヨブヨと太り不健康そのものだった。

高校と話し合い、初めは月に2日~3日くらい通えれば良いことになり、母親の勤務の都合に合わせて、一緒に登校し午前中のみの半日登校というフリースタイルでスタートした。スタッフの対応にもオドオドし、やっと蚊の鳴くような声で一言三言しゃべれたという。

段々スタッフとも慣れ、登校の日数や教室に居る時間も長くなり、週2日くらいになってくると、1人で登校すると言い出した。彼は、学校での様子ばかりではなく電車の中でも感じたことを母親に告げている。「若いカップルがイチャイチャしてみっともない。」「子どもが漫画を読みながらうるさかった。」など結構観察していたようだ。学校では、廊下で他の生徒とすれ違っても体を硬く緊張していたが、徐々に慣れたようだ。教室では、一番後ろの決まった席で授業を受けていたと言う。帰宅してからは、板書したノートを見、教科書を一生懸命に読んでいたと母親が話してくれた。なんとか学校は出られても、この先が不安ですと本人と母親で将来についての不安も含め相談に見えたのだった。

彼なりに一生懸命考え一歩を踏み出したのだから、大丈夫です。これから先何があっても自分で着実に考え、歩んで行くと思います。自信を持ってくださいと、彼と母親に伝えた。

厚労省の引きこもりの定義は、「様々な要因の結果として社会参加を回避し、原則的には6ヶ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念」と謳っている。引きこもりになりやすい人の特徴として、真面目で頑張り屋さん、自己肯定感と自己効力感が低い「自分は誰にも必要とされない」と、存在意義を自分で否定してしまう。人目を気にする。口下手で不満を溜めがち。口下手ゆえ周囲と上手く関係が築けず、うっぷんを吐き出せないで、自己防衛として人と交わりを絶とうとし、引きこもってしまう。まさに彼がそうであった。彼は、その後卒業し、アルバイトからスタートし、将来は小さな会社でも良いから定職に就きたいと母親に言ったそうだ。後日談として、母親が話してくれた。

                     NPO法人21世紀教育研究所:向井幸子

臨床心理士
向井幸子プロフィール(通称さっちゃん先生)
 
1993年不登校という言葉もまだなかった時代、まだ日本で黎明期のオルタナティブスクール・スタッフとして勤務。そこで友人、教師、学校、家庭、自分自身などで悩み葛藤する数多くの生徒と出会い、臨床心理士として活動を始め、延べ数万人の支援を実施。
その後、数多くの実績を買われ公立小・中学校の教員のためのスーパーバイザーとして活躍し通信制高校カウンセラーを経て現在NPO法人21世紀教育研究所シニアカウンセラー
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